関根健次 代表

ユナイテッドピープル株式会社 代表取締役 / 関根健次 氏

1976年生まれ、神奈川県藤沢市出身。高校卒業後、アメリカのベロイト大学へ進学。大学卒業後、日本に帰国して主にIT業界に身を置く。2002年、インターネット広告代理店を経て26歳の時に起業。学生時代にパレスチナを訪問したことを胸に、世界の問題解決を目指すソーシャルビジネスを展開。2007年よりソーシャル・イノベーション・ジャパン(SIJ)フェロー。パレスチナでの体験を胸にイーココロ!を立ち上げる。

アメリカで学んだこと

今思えば、大学に行くまではあまり色々考えることもしなかったですね。なんとなく高校生になって、なんとなく大学にいくんだろう、って。そんな中、カナダに姉が留学しまして、家族で姉のところへ、家族旅行をしました。そうして初めて訪れたカナダで、すごい衝撃をうけたんですよ。当時高校二年生でしたけれども、考えのものさしが違ったりする、と気づかされたり、いろんなところで驚きました。店で店員と、すごいフレンドリーに会話が始まる、とかね。異文化体験というか、まったく違うものさしで、動いている世界があるんだ、と知りました。それまでの自分は、社会がこう言っている、だからそれが正しい、と漠然と思っていました。考えることをしないで漠然と生きてきましたし、ものさしそのものを疑うことをしないで生きてきました。それが、カナダへ行ったことで、少し開けた。それで、選択肢が日本の大学だけじゃなく、アメリカとかカナダとかにも広がったんです。調べたら、日本の大学と比べると、アメリカとかカナダの大学というのは入るのは非常に簡単である一方、卒業するためにものすごく勉強せざるを得ない。私自身の性格からしても、日本の大学に受かって入っても、遊んじゃうだろうな、と思いました。だからアメリカの大学という勉強せざるを得ない環境の中で、自分を試してみたいと思い、またその全く物差しの違う環境に身をおいて、視野を広げたり、いろいろなことを知りたいな、と感じましたね。すごい興味がありましたし、自分の成長にとってすごくチャレンジングな場所だということで、アメリカの大学を選びました。

NGO支援サイト「イーココロ!」をはじめることとなったきっかけ

アメリカ留学などを終えた後、卒業旅行でパレスチナのガザ地区にバックパッカーとして旅行しました。ガザ地区は紛争地ですが、その当時はまだ比較的情勢が安定していました。そんな中、子供たちとサッカーをしたり、話す機会がありまして、君たちの夢はなんなの?と、聞いてみたんです。すると、ある子供に「僕の夢は、爆弾の開発者になって、多くの敵を殺すことです」と言われたんですね。そんなことを夢って言われてびっくりしまして、その彼を誘って詳しく聞かせてくれ、と言ったんですね。そうすると、僕が、幼いころに目の前でおばさんがイスラエル兵士に銃殺されたんだ、と。なんでおばさんはなんにも悪いことしてないのに殺されなければいけなかったのか、と。そんな体験をしたと聞きました。それで、中学生位になったときに、あるとき若者たちから声をかけられ、一緒に平和な世界を作るために、戦おうと誘われたそうです。それまで、パレスチナは、危ない所なんだろうな、という位しかイメージがなく、実際に50年も60年も占領下で生きてきて、肉親を目の前で失ったり家を破壊されたりとかいう人たちと出会ったのは初めてでした。その後、自分でやりたいことをやってみようか、と起業することになりました。そのときに自分の人生にとって大切なものはなにかな、と突き詰めていったんです。すると、自分には、お金とか、自分ひとりの幸せが答えとは思えなかったんです。自分ひとりが幸せになるより、みんなで笑えるようなことを世界中の人たちとやりたい、と。そうしたときに思い出されたのが、パレスチナで出会った子供たちで、彼らがなにか子供らしい夢を描ける社会を作りたい、と思いました。私自身は何もノウハウがないわけですよね。例えば、井戸も掘れない。人夫として井戸掘りは出来ますが、それなら現地人を雇ったほうが安いわけです。であれば、すでにノウハウを持っているインターネットのインフラを使って国際協力NGOにお金が流れる仕組みづくりをしていこう、と思ったんです。私はもともとインターネット系のベンチャー企業に属していたので、サイト作りが得意だったんです。ということで、私の得意分野の、インターネットの技術を生かして、NGOにお金が流れる仕組みを作り、また、あまり認知されていないNGOを有名にしていく活動をしていこうと思ったんです。

Page 1 Page 2 Page 3