鍵山秀三郎 相談役

株式会社イエローハット創業者・相談役 / 鍵山秀三郎 氏

1933年、東京都生まれ。52年、疎開先の岐阜県立東濃高校を卒業後、一時は代用教員を務める。53年、上京して自動車用品会社「デトロイト商会」に入社。61年、独立して「ローヤル」を創業。当初は自転車1台から行商をスタートさせた。97年、東証第一部上場とともに、社名を「イエローハット」に変更。98年、同社相談役となる。誰にでもできる簡単なことを徹底して実践する「凡事徹底」を信条とし、創業以来“掃除”を続けている。創唱した「日本を美しくする会」の活動は国内外にまで広がる。現在、同会の相談役を務めている。著書に「凡事徹底」「あとからくる君たちへ伝えたいこと」(致知出版社)、「掃除道」(PHP研究所)など。

美しい会社をつくりたい

高校を卒業したあと昭和28年に上京して、当時の自動車のアフターマーケットの世界では比較的有名だったデトロイト商会にまず入りました。会社に入った当時はまだ何も知らなくて、ただ使いまわされて休む暇もなく働いていました。3~4年目からは、ありがたいことにお給料も上がって、その会社の待遇には何も不満はなかったんですけれども、その会社の経営者が会社を私物化する、「これは俺の会社だからなにをやってもいい」という考えだったんですね。たとえば私的な経費も会社の経費にするだとか。私はその考え方がどうしても許せなかった。私はそういうことのない、本当に絵に描いたようなきれいな会社を、規模は別として、この世の中につくり出そうと考えていたんです。巨大な会社にしようとかそんなつもりは毛頭なかったんです。今、日本には高収益をあげている会社がいっぱいありますよね、その中にはもちろん人の犠牲の上に成り立っている会社もたくさんあります。でもそれではだめなんです。その社員が本当に社会のために役にたっている会社、社会にとって存在価値のある会社というものをこの世の中に創り出そうとして、昭和36年に自転車1台の行商からこの仕事を始めたわけです。

信頼を得た方法

当時、自動車関係の仕事はものすごく粗暴な世界でした。言葉遣いや態度はもうめちゃくちゃでした。もちろん私が初めて勤めた会社も例外ではなかったんです。お客様からの電話に踏ん反り返りながらたった一言「はい、デトロイト」という感じでね。私は耐え切れず社長に言いました。「相手はお客様ですよ、お客様に自分の姿は見えなくとも、そのような態度で電話するのはよくない。」と。すると社長はそれもそうだ、と納得してくれたのですが、先輩からはひどくいじめられました。私もそれが嫌でしょうがなくて今週辞めようか今月辞めようかと思っていたのですが、もし今私がここで辞めたりして他の会社に入ろうものなら両親はきっと心配するに違いないと真っ先に思いました。両親に心配はかけまい、その一心で私は辛抱しました。そんな環境で身近に私でもできることがないだろうかと探し、行き着いたのが掃除でした。どうして掃除なのかといいますと、単純にその勤めている会社が汚かったからです。一遍にはできないけれど、少しずつ改めていこうと掃除にとりかかりました。始めたのはいいけれど、それもまたいじめの対象になりました。業界全体が汚い中で掃除をしたものですから、私の行為は異端視されましたよ。でもそれが段々と業者の理解を得られるようになって、私が信頼されるもととなりました。で、会社がそのような雰囲気になっていくと粗暴な振る舞いをする人はなんとなく居づらくなって会社を辞めていきましたよ。

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掲載:2008年12月15日   category:ベンチャー

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