義家弘介 議員

参議院議員 / 義家弘介 氏

1971年3月31日、長野県長野市生まれ。中学の頃より「不良」と呼ばれるようになり、1987年、進学した高校から退学処分を受ける。同時に家からも絶縁され、児童相談所を経由し里親の元へ引き取られる。北星学園余市高等学校の全国からの中退本格受け入れがきっかけとなり、傷心の思いを引きずりながら同校の門を叩き編入。1990年、明治学院大学法学部法律学科入学。卒業後は大手進学塾に就職。1999年、母校、北星学園余市高等学校に赴任。2003年、著者をモデルにした連続ドラマ「ヤンキー母校に帰る」(TBS系)が放映された。内閣官房「教育再生会議担当室」室長を経て現在は参議院議員、東北福祉大学 特任准教授、北海道芸術高等学校 チーフアカデミックディレクターとして教育に力を注いでいる。

教育から生まれるいじめ

いじめは、非常に突き詰めれば教育の問題。戦後教育がいじめを生み出したといっても過言ではないんです。というのは、俺は不良少年といわれる歴史をずっと持っているわけだけど、いじめをしたことがないんですよ。 したことがない・・・? したことがないんですよ。つまり、自分よりも弱いものにエネルギーが向かうってことが、自分には考えられないことだから。それって無駄でしょ?やったって勝つんだから。自分より弱いものに、自分の若さやエネルギーが向かっていく人間はまず夢はつかめない人間なんだよね。

先日、すごく不思議な光景を見たんだけれども。ある複合モールに行ったときに、お父さんと子供がエアホッケーをやっていた。そのときに、大人って手加減するよね、コーンと。そこまでは、全然いいと思う。でも、そのあと、子供が打ち返す。すると真ん中にパックが来て、お父さんがわざと、自分の手を避けて、ガシャンって入れられて、「負けたあ。」って言っているの。これが、まさに教育のおかしさを象徴しているって思う。子供に手を抜いてあげることは大事だけれども、わざと負けて子供を得意にすることって一体何なのかって。俺、うちの息子とやってこの間、十七対ゼロで勝ったんだけども(笑)

そりゃね、泣いたよ。悔しくて。だけど俺は言う。弱いから負けるんだと。強くなれと。強くならなかったら誰も守ってやれない。父さんを超えて一人前になるんだと。だから強くなるんだぞ、と。それは、野生の教育においても、戦前の教育においても当たり前だったわけ。

野生の教育、戦前の教育とは?

例えば、食事のメニューを今日どうするって親が子供に聞く。でも、これは生物の世界では不思議なことで、どこの野生動物が、子供にどの肉が食べたい、どの肉を狩りしてとってくればいい、なんて聞くか。そんなわけがない。父親は命がけで狩りをしてきて、その狩りをしてきた獲物をみんなで分け合って、ありがとう、と。そして子供も、僕も早く一人前の狩りをして、こう腹いっぱい食いたいなと、みんなに喜んで欲しいなって学びながら大きくなっていく。うちのおじいさんの教えもそう。勝負をするときは、手は抜いてくれてもわざと負けてはくれなかった。お前が弱いから負けるんだ。だから強くなんなきゃいけない。じゃあなんのために強くなるのか。それは夢をつかむためや勝つためだけじゃなくて人を、自分より弱いものを守ってあげるため。じいちゃんは今、お前を守ってやる。でも、いつまでも守ってやれないんだと。このまま年をとって、お前より先に死んでいくと。だからお前は、俺を超えて強くなり、新たに誰かを守ってやる。それが大事なことなんだ、っていうふうに教えられた。だから、俺の怒りとかエネルギーとかって、強いものに向かうことはあっても、弱いものに向かうってことはなかったわけです。

親の背中を見て育ってきた子供に対して今の子供は

今はどうかって言うと、お友達親子で、親を尊敬しないような子供が現れている。なぜなら食事の選択権さえ手に入れ、子供の頃からずーっと、わざとであろうとも、親に勝ってきちゃっている。だから自分が、そんなに強くないのに、ある意味で強いと錯覚しながら、生きてきちゃっている。そうすると、弱いものを守るって感覚も育ってきてないし、自分がもっともっと強くなろうっていう感覚さえ、育ってこなくなる。まさにいじめ問題ってのは、「大人が自信をなくして、愛する子供をしっかりと鍛え成長させてこなかったツケだろうな」っていうのはすごく感じます。だって泣いている人間に、さらにこう、追い討ちをかけて不登校にする。それを、見ていて気持ちのいい人間は、一人もいないでしょう?苦しんでいる人間がいたら、本来それを守ってあげて当たり前でしょ?そういう当たり前の感覚が育っていないことが、すごく悲しいな、と。だから、いじめ問題って単純に一つのテーマではなくて、教育界全体の問題だと思う。

今の教育の問題点とは?

今の教育は、抵抗を排除する教育、転ばない、転ばせない教育っていうか、転ばぬ先の杖を常に与えながら、落ちこぼれないように、悲しい思いをしないように、いつも笑顔でいれるように、時に機嫌をとったり、時には過保護になりながら育て上げていく。でも、人間なんて、いつも笑顔でいることなんて本来不可能だし、泣くとか悔しいとかも経験させなければならない。しかし誤魔化されながら、曖昧な営業スマイルで教育をされてきた結果が、究極の涙の産みの親になっているような気がします。

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