神山邦彦 社長

株式会社インテリジェントワークス 代表取締役社長 / 神山邦彦 氏

1966年生まれ 兵庫県出身。 大手広告系出版社での企画経験の後、 25歳(1992年)に第一の起業。 大失敗して廃業するが再起し、 その後10年間独立系ソフトウェア企業でのUNIXエンジニア/開発/マーケティング経験を経る。 もう起業する事はないと、考えていたが、企業の売却が起こり、2003年に第二の起業としてインテリジェントワークスを設立。 設立半年後、 重要パートナーの倒産で連鎖倒産の危機に陥るが、あきらめずに挑戦。ビジネスモデルを大転換して発展。現在に至る。

Macとの出会い

僕は中学の時から音楽家を目指していまして、高校を出てから東京のほうで音楽の専門学校に行っていました。ただ、こっちに出てきて、色んなプロフェッショナルな人たちを見て、やっぱり音楽では食っていけないなっていうのをまず感じました。だから、学校を出て、始めのうちはしょうがなく就職活動をして23の時にリクルートという会社に入りました。そのとき社会人になってみて、非常に仕事っていうのは厳しいのだなって実感したんです。毎日飛び込み営業ですから。リクルートで色々なことをやっていたのですが、印刷業、デザイン業のお客さんが多かったということで印刷業を学んでいたんです。そこであるお客さんのとこに行き印刷業の仕事現場を見たら、ものすごいコンピュータ化されているんです。印刷業がこんなにコンピュータ化されていることを知らなかったんですよ。そのころのコンピュータというのはUNIXマシンといって、ものすごくでかいやつでしたが、その片隅にあった小さいコンピュータがAppleのマッキントッシュでした。まだまだ日本に入ってきたばかりでしたが、「こんな面白いんだよ」って社長さんに見せられました。マウスを動かしててフォルダを動かしてみて、面白いなって思ったんです。こんなのがコンピュータとして出てくるんだなと、僕の中では衝撃だったんですね。それから、マッキントッシュを使って印刷のお仕事をしてみたいな、と思うようになりました。

第一の起業

僕は25の時に一回目の起業をしました。出版物を作ろうと起業したはいいんですけど、ビジネスモデルができていなかったし、それをやりたいというだけで起業しただけだから、事業性、経営性とか利益性だとかをあまり分析できておらず、ただ飛び出した形になってしまいました。そこで、何が問題になったかというと、当時のコンピュータは今から比べると1000分の1ぐらいのパフォーマンスしかなかったということです。今、ハードディスクは10ギガ、100ギガになっていますが、当時は100メガ。しかも、CPUだって何メガヘルツ、ギガヘルツというのではなくて。今から考えると当時は現在の100分の1くらいの生産性だったんです。コンピュータの性能がよくなかったから1個の10メガの画像ファイルを開くのに15分ぐらいかかりました。しかも作ったものを保存しようとする、例えば広告1個作るじゃないですか。その容量が100メガ、200メガになってしまうので、自分のハードディスクに保存できないんです。今みたいにUSBメモリもないですし。MO(光学メディア)はあったんですけど、それも60メガ、100メガぐらいです。分割して保存したりして。しかもクオリティもよくないですし。遅い。仕事をする時間のほとんどが待つ時間になってしまうんです。動かすために待つ時間、保存するために待つ時間、コピーするために待つ時間。そういうのが多くて、実際制作するのも本当少しずつやるしかない。不動産の住宅情報誌を作ったんですけど、そんな風にやっていたので1ヶ月に1冊ぐらい。そのうえ、それを売ったとしても100万とか200万にしかならない。利益はもっと少なくなってしまいます。自分一人が食えるぐらい。もっと利益性があると思っていたのですが実際やってみたら利益性がなかった。というので、やめようということで廃業しました。

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掲載:2008年09月10日   category:ベンチャー

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