漆原慎太郎 講師

高校時代の勉強について

特に国語と数学は大事だと思います。国語と数学というのは、論理的に考え、表現し、コミュニケーションをとる、生きる力を養う科目ではないかと。だからその2つを磨くというのは実際に社会に出て生きていく上で1番必要な能力がそれじゃないかな、と思います。あとはそれだけだと知識のない人間になってしまうので、社会科を学ぶということというのも大事なのかもしれないけれど。教壇にたって思うのは、今の子は表現が出来ないんですよね。例えば、古文の授業で訳してごらん、といったときに、文法要素は全部分かっているはずなのに、言葉に出てこない。さらに不思議なのは、あなたはどう思いますか?という質問に対して、わかりません、という答えが返ってくる。これはおかしなことですよね。あなたはこれを知っていますか?知りません。分かりますか?わかりません。これは適切なコミュニケーション。けど、思いますか?という質問に対して、分かりませんという答えが返ってくる。そういうおかしな子が増えているんですよ。それはきっとコミュニケーション能力、国語力のもっと根本的なところが抜けているんじゃないかと。そういうことをみるにつき、やっぱりもっと、学校現場でも、国語で表現をするっていうのはもっと鍛えていかなければならないんじゃないのかな、と思います。

数学の大切さ

あと数学が出来ない子は矢印が引けないんです。こう、だから、こう。という矢印。例えば、すごく簡単な例で言うと、「おなかがすいた、だからご飯を食べる」その、おなかがすいた、という事柄と、ご飯を食べるという事柄をちゃんと矢印で結べない。このくらいの例なら分かるけれど、それが少し複雑な例になったときに、ご飯を食べる、と、おなかがすいた、を逆にしてしまったり、全く別のもの、例えば、新しいお米を買った、だからおなかがすいた、とか変なところから矢印を引っ張り、物事の因果関係を正しく把握できてない人が増えているんですよね。でも、それは、なんと数学が出来る子には一切見られない傾向なんです。だから、こうだからこうなる、と理解できる力、論理力は数学という科目を通じて、鍛えていかなければならないんじゃないのかな、と思うんですよね。今は教育現場がずいぶん英語に傾いていますよね。英語って言うのはツールじゃないですか、コミュニケーションツール。でもコミュニケーション能力のない人間がいくらツールを手にしたとしてもそれは使いこなせないですよね。だったらもっと先にやるべきことがあるんじゃないの、という風に思ってしまいます。他の科目は、問題解決能力を養ったり、最低限の常識とされるものを身に付けるためのものだと思います。最低限の知識って言うのは全うな社会生活を常識人として送るためにやっぱり必要なんじゃないかな。自分を豊かにする、教養の幅を広げる、思考の幅を広げる、そういう点で高校の勉強というのは役に立っているのではないかなとは思います。

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