出口汪 講師

現代文・小論文予備校講師 / 出口汪 氏

関西学院大学文学部日本文学科卒業 。関西学院大学大学院日本文学科博士課程を修了。1992年に大学受験予備校「スーパー・プレップ・スクール(SPS)」を設立。1993年 代々木ゼミナールトップ講師・衛星放送講師を経て、東進ハイスクール衛星予備校へ移籍して現在に至る。2000年 出版社「株式会社 水王舎」設立。執筆による学習参考書は発行部数数百万部を超える。2002年 論理力育成教材「論理エンジン」の開発に着手。2008年 株式会社 D’s pro(ディーズプロ)設立。

実は劣等生だった

高校では、学校の授業をまともに受けた記憶がないくらい全く勉強しなかった。教科書は全部無くしてしまったし、中間・期末試験前には教科書がないから、教科書バイブルというのを買ってきて、それ見て一夜漬けをして、なんとか誤魔化して、単位を取れたぐらいのレベルだった。国立の文系のクラスにいたんだけども、大学はどこを受けてもまず通らないだろうと思ったので、高三の冬に、突然、志望を国立の医学部に変えたんだよね、文系から。そうすると受験科目が、数Ⅲと物理・化学が増える。もちろん、そういう勉強を全くやっていなかった。要は、医学部にすることによって、受験を上手く逃れられるかもと思って。とっさにそういうアイディアを思いつき、それが上手くいって、それでまあ無事、浪人できたと。浪人生活は、僕、すごく楽しかったんだよな。学校はもうほとんど行かないで、一日中寝て、好きなことをしていられる、ということで、居心地がよくて。結局は、浪人時代も、まともに勉強したことなくて、気がついたら三浪しているんだな。

文学青年から予備校教師へ

浪人時代は小説をかなり読んでいたし、親も小説家だったので、漠然と小説家になろうかな、という風に思っていました。三浪したときはさすがに家族に、「どこでもいいから入ってくれ」といわれ、そこでもうどこでもいいや、と思い大学入試に申し込んでしまったという。それで文学部になったんだけれども、そこでも劣等生。全然勉強しなかったな。頭の中では、とりあえず籍だけ置いて、大学にいる間に、小説を書いて、なんとか小説家でデビューしようと思ってね。もう三浪しているから、マトモな人生は無理だろうと思い、もうそれしかない、と勝手に思い込んで。全然勉強せずに、ひたすら小説を書くことばっかり考えていたよね。その後大学院にいったんだけど、三浪して、それで大学院に入ったんだから、もういい年なのね。当然もう、仕送りなんてしてもらえないから、奨学金と、アルバイトをするということで、高校の非常勤講師。それでも食べていけないから、しかたなく予備校の講師のアルバイトをやって。そこで教えることがおもしろいと思って、教えることにはまったね。それによかったのは、現代文なんてやっても仕方ないと思う人が多かった中、僕は受験勉強をしたことがなかったから、全部、ゼロから自分の頭で一個一個、考えていったな。思い切った新しい発想がしやすかったのかもしれないね。その中で論理を身につけることで自分が変わっていったね。

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